丼ウォーターと千葉水郷

 五木寛之が、昔飛行機で出会った大先生の思い出を語っている。年の頃は六十五歳前後、大学の偉い先生らしい。空港で買ったコニャックを飲んではさらに豪快になる先生に、五木寛之は突然「ロシア語を教えてくれ」といわれる。挨拶を二つほど教えたところで、「もうよろしい」と言って、何やら手帳に書き込むと大先生は眠ってしまった。

 気流のせいか、飛行機が揺れた。大先生の手帳が私の目の前にある。隣りの女子学生も、中年の紳士も、眠りはじめた。私は先生の手帳の鉛筆がはさんである部分を、指先でひろげて見た。よくないことだと思ったが、先生がさっき書きつけたロシア語の発音を見てみたかったのだ。カタカナだろうか? それとも表音記号だろうか?
「お早う」という文字の下に、達筆で、
「丼ウォーター」とあった。
「有難う」と書かれた下には「千葉水郷」とある。
「丼ウォーター」がドブロエ・ウートロの日本式表音であり、「千葉水郷」がスパシーボである事を理解するまで、しばらく時間がかかった。
 私は手帳をそっと閉じて、大きないびきをかいている赤ら顔の男を眺めた。自分とちがう種族を見ているような気がしたが、思わず頬がゆるんだ。
 モスクワに着いて、三日目に、大先生とばったり出会った。ゴーリキイ通りの、商店の地下から、大先生はグルジアの葡萄酒のびんを両手に抱えて、ヒグマのように現れてきたのだ。
「よう」
 と、大先生は、大きな声で言った。
「あんたに習ったロシア語はよく通じたぞ」
「丼ウォーター、に千葉水郷ですか」
「うん?」
 と大先生は私を眺め、それから豪快に笑って言った。「なんだ。手帳を見とったのか。まあ、よかろう。だが、あれはまったく役に立った。朝起きて丼ウォーター。あとは何でも千葉水郷で大威張りさ」
 その晩、私はホテルのエレベーターをおりる時、中年のマダムに、「千葉水郷」と言ってみた。ちゃんと通じたらしく、彼女は優雅に微笑して、私にうなずいた。参った、と私は思った。

『風に吹かれて』(五木寛之 講談社文庫)p.168

風に吹かれて

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