「修行」

 ぼくは丹波哲朗さんのことはよく知らない。彼が説く擬似宗教にも関心はない。けれど、彼のいったある言葉には深くうなづくところがあった。正確ではないけれど、こんなふうに丹波さんはどこかで述べている。
「結婚というものは、修行のためにある。そこで最大の好敵手を選んで、神は男女を結びつけるのだ」
 僕はそれを読んだとき、ははあと納得するものがあった。なぜいっしょに暮らす女性がかくも恐ろしく感じられるのか。ひと言で余すところなく表現してくれたからだ。読者のみなさんも、粗大ゴミのような、ひどく頑固で聞く耳をもたない連れあいを眺めて、ため息をつくことはありませんか。そういうときには、丹波さんのいうように、胸の中で相手に感謝すればいいのです。
 わたしの魂のステージをあげるために、自ら進んで頑迷固陋な障害物になってくれた夫よ、どうもありがとう。あなたを踏み台にして、わたしは天国に一歩近づいていきます。煉獄にいるあなたも、心の平穏が見つかりますように。

『目覚めよと彼の呼ぶ声がする』(石田衣良 文藝春秋)p.56〜57