映画とは

 映画はまずもって実に横暴な装置だ。見る物に偽の体験を強制し、感情をもてあそび、見つづけるか席を立つかの二者択一を迫り、感動・嫌悪・迷い・退屈のいずれかの反応を引き出さずには終わらない。こちらの精神のゆがみを増幅し、隠された欲望をあばき、破壊本能をくすぐり、のぞき見に誘い、無駄な涙を流させ、平凡な人間に英雄の昂揚感を味わわせ、誘導訊問で本音を吐かせた上で、唐突につきはなす。そういうことが暗闇の中で行われる。しかも不見転(みずてん)の先払いだ。そのいかがわしさ、閉じた部屋と少々のチャチな機械からなる感情のローラー・コースター。ひとしなみに同じ方をむいて坐った観客は、刃を手にした祭司に従順におのれをあずけた羊の群。そこへ人をひっぱりこむための立看板、金曜の夕刊の広告、嘘八百をならべた惹句、片棒をかつぐ文化人ども、そして映画評。製作の現場へ行けば、まったく非実用的な肉体をもった女優たち、表側だけで裏のない建物と役者、走らない汽車、掌に載る大きさの軍艦や発泡ゴムで作られた怪物。芸術である前に産業、それも中小企業。映画とはつまりこういうものの総体なのだ。夢と呼ぶか詐術と呼ぶか、要するに人の精神の弱味につけこむべく作られたまやかしのからくり。

『シネ・シティ鳥瞰図』(池澤夏樹 中公文庫)p.11〜12